にし阿波、日本の農の原点(1)
にし阿波を訪れたのは、10月末〜11月はじめのこと。
滞在先としてお世話になったのは、剣山系の山の中腹にある三木栃集落で農を営む磯貝農園さん。吉野川の支流、貞光川に沿って山中を分け入り、頂上に近い標高400mで暮らし、周囲の畑で雑穀や露地野菜を栽培されている熟練農家さんが営む『そらの宿』です。お宅へ向かう道中、剣山の登山で立ち寄った見覚えのある木綿麻(ゆうま)温泉を通り過ぎます。さらに森の中へ、山の上へ、車を走らせると、霧が立ち、雲の上の幻想的な風景にすっぽりと包まれます。ここで、どんな暮らしを、どんな農を営んでいるのでしょう?
磯貝農園さんへ到着すると、収穫されたばかりの蕎麦が3段の稲木に架けられているところ。稲木の向こうには、西向きのくだり斜面を利用した畑と果樹園が広がり、ソバ畑で刈り取りをしている磯貝さんご夫妻の姿が見えます。さらにその周囲は高い山々に囲まれ、まるで日本昔話。霧の架かる山と森に囲まれ、点在する家屋や畑の果樹、日常の風景が息を飲むほどに美しく、郷愁にあふれ、物悲しい気持ちを誘います。
さて、この日は、磯貝さんご夫妻(勝幸さんとハマ子さん)と、息子の一幸さんに色々なお話を伺いました。まさに収穫中のそばのこと。どうやって豊作を見分けるのか、収穫のタイミング、この地域ならではの加工法。さらにコキビやアワ、タカキビ、ムギなど他の雑穀との栽培リレー、最大の悩みどころである鳥の被害をどうやって防いでいるのか、などなど。磯貝さんのご家系は、この地で400年以上も前から自給自足の暮らしを続けてきたことがわかっているそう。代々と受け継がれてきた土地に息づく深い経験から、貴重なお話を次々と惜しみなく教えていただいたのです。「阿波=粟の国」の語源ともなっているこの地域に伝わる在来のアワ。宮中行事である新嘗祭で献穀したこともあるという、ご夫妻で育ててきた在来の粒は、煌めいて見えます。
ふと気づくと、西の空を照らしていた太陽が山の向こうへと沈みゆくところ。標高400mにいるので、周囲の山の頂きは目線の高さ。「山の峰が連なる狭間には、貞光川、吉野川が流れていて、独特の立体的な風景を形づくっているんです」と一幸さん。その峰々の奥に明るい夕日が沈み、暗い谷との対照が、一日の終わりという区切りをはっきりと示してくれるかのようです。
翌日の朝は、磯貝さんご夫妻と一緒に農作業。ソバの刈り取りを行います。湿らせたワラの束を背負い、鎌で数株づつのソバを刈っては束ねる、という作業です。斜面地での作業に慣れないので、前屈みで刈ると、つんのめりそうになります。「休み休みしないとすぐに疲れるよ」と、声をかけてくださりながら、見事な手捌きで、さっさっと刈っては、きゅっきゅっと束ねていく勝幸さん。
この地域の農の最大の特徴は、なんと言っても山中の斜面で営まれていること。棚田のように土地をならすことなく、傾斜をそのままに使うのです。等高線に沿って、数種類の作物が並ぶ様子は、美しい野菜模様。斜面地には大型の機械を入れることができないので、ほとんどの作業は手道具と身体でこなします。石積みなど、人の手で作られた造形には、ばらつきがあり、だからこその温かみが感じられます。
また、土とともに養分が斜面を流れ落ちていかないよう、背の高いカヤを積み上げて有機質肥料を作り(コエグロと呼ばれています)土に被せて保護をしたり、穀類のリレー栽培によって炭素分の堆積を促す知恵も。
午前8時過ぎに東の山の向こうから朝日が登ってくると、畑の景色は一気に彩りを増します。数時間、せっせと夢中で刈っては束ねて、を繰り返し、身体が暑くほてってきたところで、休憩を挟むことに。ソバの下の斜面に植った柿の木は、猿との争奪戦だそう。「柿を取って食べんね」とハマ子さん。柿をかじりながら、昇り立ての朝日に照らされた畑を眺めていると、束ねたばかりのソバが捧げ物のように並んでいることに気付きます。
効率も時に大事だけれど、こんな美しく創意に溢れた日常以上に、大切なことってあるんだろうか。それが、ここの暮らしであり、農なのだと滲み入るのです。