にし阿波、日本の農の原点(2)

にし阿波の中でも、近年注目を集めているという家賀集落。伝統的な農法で「藍」の栽培を復活させ、地域の再生プロジェクトを推進する栃谷京子さんを訪ねました。

家賀集落は、剣山系の代表的な大規模傾斜地集落として、100軒余りの民家とその周囲に畑地や社叢をいだいています。しかし、近年は過疎化が進み、かつての6分の1ほどの人口に減ってしまいました。ここでどのように再生プロジェクトが動き出し、今や他県の人々や大手企業をも巻き込むほど、多くの関心を引き寄せるようになったのでしょう?

京子さんがこの日出迎えてくれたのは、プロジェクトの拠点である、藁葺き屋根が趣きのある日本家屋。かつては藁葺き職人のご親戚が住まわれていた民家で、葺き替えながら大切に使われてきた場所なのだそう。広い居間には大きな囲炉裏があり、大勢を招いて宴会をするのが好きだった、という故人の粋が感じられます。そして、人をひきつける華麗で明るいお人柄は、京子さんも同じ。「藍そうめん」が主役の煮込みそうめんを振る舞っていただき、食べながら次々とお話を聞かせてくださいました。

京子さんの亡き旦那さまは、この集落のご出身。お墓参りに来る度に、空き家や遊休地が増えていくのを目の当たりにし、寂れていく村をなんとかできないか、という想いが募っていったのだそう。この地域の歴史や農文化に詳しい林博章先生に相談したところ、かつてこの地で産業になっていた「藍」をふたたび育ててみてはどうか、という提案をもらいます。そこで、この集落に住む方々や町外のご友人などとともに、『コエグロ』(稲藁を積み上げて乾かし、細かく裁断して畑の肥やしにする、にし阿波特有の呼び名)を使った伝統的な有機農法で藍の栽培を始めたのです。里山における農の営みは、食を支える以外にも、人が資源を生かしながら、あらゆる生命と共生して自然循環を促すために欠かせない要素です。

徳島 剣山系の持続可能な「集落再生」モデル

このイラストを、こちらの民家で見つけた時には驚きました!数年前、美馬を旅行で訪れた際に、道の駅でこのイラストを見かけて「このような循環が息づいている里山を訪れてみたい、実際に担っているひとに出会いたい」と、ずっと心に残っていたものだったからです。

林博章先生は、「集落再生」モデルを提唱してきた方であり、『忌部族』(古代日本で祭祀を司り、剣山を拠点の一つとして日本各地に農業を伝えたとされる氏族)や、剣山系の農文化を長年研究されてきたお方であったことを、ここで知るのです。

さて、染料として知られる藍は、古来から生薬としても日本の暮らしに根付いてきた植物。京子さんたちは、農薬や化学肥料を使わない「食べる藍」を栽培し、『家賀藍粉』に加工して、売り出しています。「藍入り半田そうめん」や「藍番茶」のように県内の食品メーカーをはじめとした様々な企業やブランドとともに、さまざまな商品に展開されている藍を見て、その可能性に引き込まれます。

また、最近、京子さんの心を弾ませてくれるのは、教育学習としてここを訪れる学生の存在なのだそう。東京や大阪など都市部の小中高生が、山間部の里山暮らしを通して、自然との共生や、時に厳しい労働を体験することで、たくましく優しく成長していく姿を見せてくれるのだそう。

お話は尽きませんが、家賀再生プロジェクトの藍畑や、これから始動するという貸し農園の圃場を見せていただくため、裏山へと出かけます。すでに刈り取りが終わった藍畑では、蕎麦が植えられ、間もなく収穫期。奥には、種取り用の藍だけが残っています。

藍畑から山の頂上部へと向かう斜面には、コエグロが積まれた見晴らしの良い空き地が。ここは比較的傾斜が緩やかなため、これから区画分けして、貸し農園にするのだとか。すでに全国からの利用申し込みで、定員はほぼ埋まっているとのこと!さらにそのお隣には、ANAやS&Bなどの大手企業によって、再生プロジェクトのメンバーである地元の農園さんに委託されている実験圃場もありました。

見学を終えて藁葺きの家に戻る道中、見渡す先に立派なお寺とそのお庭が見えます。ちょうど集落の中心部にあたる『西福寺』は、忌部神社の別当にあたるそう。その南には『児宮神社』とその社叢があり、こちらも忌部の祖神の御子が祀られているそう。家賀に暮らす人々の心、共同体の繋がりを支えてきた特別な場所であることが伝わってくるのです。

この土地の歴史的背景や地理的特異性、それらを支える農文化の根底には、自然への畏敬や深遠な生命思想があり、それらは古代の日本全土へ伝播していったと考えられています。その農文化を蘇らせることで、その精神をふたたび取り戻し、この地域に留まらず、日本そして世界が持続可能な社会へと転換することにつながる、そんな願いが家賀再生プロジェクトを突き動かし、共感を集めているのだと感じました。

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