命を守るとは?

最近「命を守る行動」という言葉がよく使われるようになりました。宗教観が薄れた後の日本に生まれた私にとって、これまで「命」や「生死」が社会で積極的に論じらるところをあまり目にしたことはありませんでした。さらに都市化が進み、日本の家族制度が壊れ、死に場所は病院、というのが当たり前になった今、「死」は生きる延長や繋がりではなく、恐怖の対象となり、余計に隅に追いやられたのかもしれません。

普段から「命」や「生死」を考えていない中、恐怖と隣り合わせに「命を守る行動」が示されたら、疑問を持たずに従ってしまう人もいるのかもしれません。特に権威ある人から、自分の住む国の公式見解として発表されたら、それが社会の正義だと感じる人は多いのでしょう。

けれど、そもそも「命」は私たちの手の中にあるのか?という疑問が生まれます。意図せずこの世に命を授かり、自分自身でもその命をいつ、どのように失うかはわからない。小さな単細胞からヒトへと進化してきた私たちの身体には、進化の過程の遺伝子が精妙に含まれ、細胞は常に合成と分解を繰り返している。このような命の神秘を超えて「命を守る行動」を示唆することは、まるで自分の力で生きている、という錯覚を起こしているかのようのです。

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その代わり「健康を守る」ということは個人個人でもできることだと思っています。けれど、それは一律の行動ではなく、個人によって適切な食事の量や、運動の負荷、好ましい環境、社会的意義や動機が異なるため、それを守る行動も変わってくるでしょう。そして、自然界の動植物は個々の単位での「健康」を守ることもあれば、種の存続や生態系全体の調和を図ることもありますね。

今、一方的に提示されている「命を守る行動」が本質的にすべての命を尊重しようとしているものか、冷静に考えるべきだと感じます。

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